ねごとの小言

自担に甘いただのオタクの小言

過度な期待をやめたいけどやめられないのが私たち

期待される人はすごいです。期待されるだけの能力があります。そこまで積み重ねてきた努力もあると思います。


とはいえ、過度な期待をするのはよくありません。
期待していたのに!と落ち込むから。でもそれはどちらかといえば期待を“している側”の感情。
そうではなくて、結局は期待って“されている側”への精神的苦痛が大きいのです。


“期待”というとなんだか偉いというかすごいものに思えるかもしれないけど、常に身近に存在するものなのだと思う。



例えば、仕事がすっごくできる人がいたとしたら、その人をみんな頼りにします。
確かに仕事はこなせるけど、その人だって人間です。失敗はします。だけどこの人が失敗をしたとき、とても頼りにして仕事を任せた人たちはどう思うでしょうか?
まぁ落胆するでしょう。しかも、ものすごく。

これって不思議で、普段一生懸命働いてるけど仕事が(極端に言えば)できない人は、失敗して落胆はされるけど「仕方ないなぁ」みたいになるんです。だけど仕事ができる人が失敗をすると、落胆の種類が「珍しいな」となるわけです。

きっとこれくらいできるだろう、それが実は過度な期待で、毎日いっぱいいっぱい頑張っているのも伝わらず、「当たり前」になっていってしまう(努力を見せないでこなす人も同様)。皮肉なことに自身の頑張りが失敗したときの風当たりが強くなることに繋がってしまうのだな、とすごく感じます。
そして誰かがフォローしてくれるわけでもない。だって失敗しててショックでも「それくらい当然できるでしょ」になっちゃうから…




これが私的、身近にある過度な期待です。よくない。
昔推してたアイドルが噂だけで「センターおめでとう!」と言われて傷つくところを見てきました。よくない!




確かにSixTONESは想像していたものを飛び越えてくるような、新鮮な感覚をいつも与えてくれます。
だからこそ麻痺しているのかも。これは当たり前ではなくて、本当にすごいことなのだと。


もし、私たちファンが想像と願望で掻き立てたものよりも、用意されているものが(言い方が難しいけど)些細なことだとしたら「なーんだ」ってなる人が出てくる可能性もあるわけですよね。

全てを彼らがベストなタイミングで提供しようとしてくれているはずだし、私たちはそれを受け取る側なのに過度に期待してしまうとその感動が薄れてしまうということです。


もちろん私たちファンに期待をさせるだけの力があって、期待するのは悪いことではありません。だけどその期待を、間違った方向に使ってほしくはなくて。本来期待とはされたら嬉しいはずのものなのに、中身を想像してミスリードして、本来のメインディッシュを見せられて「◯◯だと思ってたのにな」っていうのは如何なものかと。




と、思うのですがオタクって期待することをやめられないんですよね。やめなくていいと思うし。期待してたボールが投げられたら全力キャッチするし。
使い方が大切ですね。